6月の学芸員によるミュージアムトークは開催を中止させていただきます

毎週土曜日の14時より開催しております当館学芸員による
ミュージアムトークですが、6月はアジサイの見ごろとなり、
繁忙期となりますので、こちらの都合で大変申し訳ございませんが、
開催を中止させていただきます。

ご迷惑をおかけ致しますが、何卒ご理解いただきますよう
よろしくお願い申し上げます。

長谷寺の巨大板碑の謎を追え!

天候に恵まれたゴールデンウィークの鎌倉。予想通り多くの人出で賑わい、恒例の「江ノ電遅延」も連日のように発生したようです。
そんな満員電車に揺られ(お休みの日までご苦労様です)、長谷寺にお参りしてくださった方々の中には、「せっかくお参りしたのだから・・・」と、ミュージアムまで足を運んでいただいた方も大勢いらしたのではないでしょうか?
おかげさまで、ミュージアムの受付に(一瞬!)列ができるほど多くの方にご来場いただきました。手狭な館内ゆえに、ご不便をおかけしたかもしれませんが、ここにお詫びかたがた篤く御礼申し上げます。

さて、このゴールデンウィークに合わせて、現在ミュージアムで開催しておりますのが、平成27年秋のリニューアルオープン展以来行ってまいりました収蔵品展の第4弾!「長谷寺・仏教美術の至宝Ⅳ―考古資料編―」です。
タイトルにもある通り、本展でご紹介するのは、長谷寺の境内から出土した「考古遺物」のうち、信仰や供養にかかわるものを中心に出陳しています。
本企画を担当した自分で言うのもなんですが・・・
この展示の前に行っていた「雪山(せっせん)の国のみほとけ」展が、たいへん煌びやかな仏画の展示だっただけに、考古資料はとにかく「色」が無く、石造物やら陶磁器の破片ばかりで、出土品にロマンを感じていただける、一部の方しか入場してくれないのではないかと心配しておりました。が、本展をご覧になられた方より「勉強になりました」とか「面白かったです」などとお声掛けいただいた時は、嬉しさもひとしおでした。

だいぶ前置きが長くなりましたが、本ブログでご紹介したいのは、この企画展のために出陳した資料ではなく、実は通常も展示しているこちらの石造物です。

【長谷寺の二大板碑!】

ここに並び立つ二つの石造物は「板碑(いたび)」と呼ばれ、主に亡くなった人の追善供養、あるいは生前供養のために造られた供養塔の一種と考えられます。長谷寺に伝わるこれらの板碑は、大きいほうが鎌倉で最大の高さを誇り、一段小さい緑色のほうが鎌倉で出土した板碑のうち最古の年紀銘を持つことで知られております。

今回取り上げるのは、鎌倉最大の板碑のほうで、その表面には「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と呼ばれる、やはり供養塔となるものが浮き彫りであらわされており、こうした板碑は全国的にみても数少ない作例といわれます。
この板碑が出土した場所は、当山の本尊である大観音が現在の位置に遷座される以前に立っていた旧台座の下であったそうで、昭和18年(1943)にコンクリートの内陣が完成したのを機に、本尊を後方へ移し台座などを解体したところ、那智石などが敷き詰められた土中より発見されたそうです。
その時、発掘に携わった研究者の所見ではこの大板碑が造立当初から観音像の台座下に埋められていたとは考えがたく、おそらくは観音堂が再建されたと伝えられる室町時代辺りに埋められたものと推測されてきました。
しかし、この推測を覆すかもしれない資料が、横須賀にあるお寺の境内で発見されました。そのお寺は浄土宗の古刹聖徳寺。境内には、当山の板碑の約2分の1程度の大きさの板碑が伝えられており、現在は風化が進んでしまい判読は難しいものの、慶長15年(1610)の銘文が存在したとの報告があることから、聖徳寺の板碑は江戸時代初頭に建立されたものであるといえます。そして、その表面に彫られた宝篋印塔を比較すると・・・
まるで写し取ったかのようにそっくりなことが分かるかと思います。

【聖徳寺の板碑(上)と長谷寺の大板碑(下)の比較】

つまり、聖徳寺の板碑は、当山の板碑を実際に見たうえで造られた可能性が高いのです。となると、当山の大板碑は、江戸時代初期までは地上に出ていたことになり、室町時代の観音堂再建の折に埋められたとする推測は成り立たなくなります。では、当山の大板碑が観音様の足元に埋められたのはいつのことだったのでしょう?

これも推測でしかありませんが、江戸時代の延宝年間(1673~1680)、長谷寺では本尊をはじめとする大修繕が行われており、仮に観音像が台座から下ろされて修理が行われたとしたら、その時、台座の下に大板碑を埋めることができたのかもしれません。ただ、そうなると、鎌倉時代の後期に造られた板碑が、おそらく屋外に祀られたまま、江戸時代まで風化もせずに耐えたことになります。それこそまさに「奇跡」です!なので、大板碑は埋められるまで大切に保管された可能性も・・・(妄想が止まりません)。

最後に、もう一度両寺の板碑を比べると、長谷寺の板碑にあって、聖徳寺の板碑には無いものがあります。よく見ていただくと、長谷寺の板碑には宝篋印塔の脇に蓮の花やそれらを挿す花瓶がありますが、聖徳寺の板碑にはありません。板碑の表面に美しく花開くその造形は、高い技術によって造られたと考えられ、一説に当山の板碑は真言律宗の僧に帯同した西国の石工によって造られたともいわれます。
これに対し、聖徳寺の板碑の製作者はわかりません。もしかしたら、江戸時代になってもこの高い技術を超えることができず、蓮は割愛されてしまったのかも・・・。

【長谷寺の板碑にみえる蓮華の浮き彫り】

全国的にみても貴重で、美しい浮き彫りをもつ長谷寺の大板碑。皆様にもぜひ直接ご覧いただきたいと思います。GWが終り、6月の「あじさいシーズン」到来前の、まさに今が長谷寺を落ち着いて楽しんでいただける穴場の時期かもしれません。皆様のご来場、心よりお待ちしております。(学芸員MH)