学芸員によるミュージアムトーク【2月の開催日程】

展示の見どころを当館の学芸員がわかりやすく解説します。
参加を希望される方は、14時までに観音ミュージアムにお越しください。
皆様のご来館をお待ちしております。

【ミュージアムトーク開催日】
2月10日(土) 14時~

2月17日(土) 14時~

2月24日(土) 14時~

各回30分程度

※都合により中止となる場合があります。

長谷寺 出世大黒天のひみつ

現在開催中の「新春特別公開 秘仏 出世大黒天 ― 長谷寺の縁起仏とともに ― 」展ですが、本展覧会は、長谷寺伝世で応永(おうえい)19年(1412)の銘を持つ大黒天立像が、昨年(2017)2月に鎌倉市の文化財指定を受けたことを記念して開催しました。

木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘)
木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘)

この大黒天像ですが、最新の調査により制作年代の判明する大黒天像の中では、東日本最古であろうという見解が示されました。
出世大黒天様おめでとう!!

その銘文ですが、ちょっと変わったところに書かれているので、今回はその紹介を致しましょう!

この大黒天像、実は現在のお姿は修理が為されたものになります。
修理前は残念なことに見るも無残なお姿でした…

木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘) 【修理前】正面
木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘)
【修理前】正面

横から見ても袋が無くて、なんだかバランスが悪いですよね…

木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘) 【修理前】左側面
木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘)
【修理前】左側面

しかし、修理後は袋も付けられて、これぞ大黒様っ!

木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘) 【修理後】左側面
木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘)
【修理後】左側面

そして、現在の大黒天像がこちらなのですが…

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ここに注目です!!

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そう!こちらの留め金です!

出世大黒天像 留め金

修理後に取り付けられた袋部分が、本体から脱着可能になっているのです!
なぜこのような使用にされたかというと…
実は背面の矧面(はぎづら)部分に墨書(ぼくしょ)で、銘文(めいぶん)が書かれているからなのです。

木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘) 背面矧面銘文部分
木造 大黒天立像(応永19年〈1412〉銘)
背面矧面銘文部分

銘文には以下の内容が記されています。

出世大黒天像 背面矧面銘文003

写真赤枠部分が赤字の制作年代が記された場所に相当します(※赤字はブログ執筆者によるもの)。
この銘文により、こちらの大黒天像が応永19年(1412)の造立(あるいは修繕)と考えられ、室町期の作例だと判断できます。
室町時代からそのにっこり笑顔で人々の悩みや願いに寄り添ってこられたのだと思うと、尚のことありがたく感じられますね。

因みに、本展覧会では大黒天との習合(しゅうごう)を果たした大国主命(おおくにぬしのみこと)がどういった人物であったのかを分かりやすく紹介するため、日本昔ばなし「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」(※©日本コロムビア株式会社)の上映も行なっています。
週末にはお子さんたちの鑑賞も見受けられ、大盛況♪
ありがたい限りです。

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他にも打出の小槌(こづち)を振っていただけるコーナーがあったりと、楽しい企画が満載っ!
願い事を念じて誠実な気持ちで振っていただければ、必ず願いは叶うはずです。
かく言う私もこの小槌で願いが叶った者の一人!
何が叶ったのかはひみつですが…
ミュージアムへ来館されたらぜひぜひ試してみて下さいね。
出世大黒天像の前で振ったら運気も倍増!…かも!?

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会期もいよいよ残り少なくなってきました…
出世大黒天像をご覧いただけるのは今がチャンス!!
本展覧会は2月4日(日)まで。
皆さまのご来館をお待ちしております。

学芸員 H

大黒様が戦いの神様!?

大変遅ればせながら…明けましておめでとうございます!ついに年が明け、平成も30年目を迎えましたね。
新年を迎えるといつも感慨深い気持ちになります。みなさんはいかがでしょう?
1月も後半戦ですが、長谷寺は参拝者の方々で賑わっておりますよ!!

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賑わいならば観音ミュージアムだって負けていません!
現在当館では、新年にふさわしく「新春特別公開 秘仏出世大黒天 ― 長谷寺の縁起仏とともに ― 」展を開催中です。
大黒天像をはじめ、長谷寺ゆかりの縁起の良い仏像も展示しており、パワーに満ちた展示空間となっています。

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ここで大黒様の歴史を少しお話したいと思います。
みなさんは大黒様の起源がインドにあることをご存知でしたか?
大黒様はインドではサンスクリット語で「マハーカーラ」と呼ばれます。

  「マハー」=「大」
  「カーラ」=「黒」

それぞれの言葉が意味することは上記の通りで、日本語に訳すと「大いなる暗黒の神」となります。
なんとも恐ろしく、強そうですよね…
破壊と再生を司るシヴァ神が、世界を破壊するときにこの姿になるといわれています。

「大黒天(マハーカーラ)」 『大正新脩大蔵経 図像』第三巻 「図像No.142 大黒天」より
「大黒天(マハーカーラ)」
『大正新脩大蔵経 図像』第三巻
「図像No.142 大黒天」より

画像のようにその体は、青黒色(せいこくしょく)か黒色をし、三面六臂(さんめんろっぴ)というお顔が3つに、腕が6本のお姿。
右手の第一手(だいいっしゅ)で剣を持ち、左手の第一手は切先に添える形をとっています。右手第二手で人間を、左手第二手で羊を掴み、左右の第三手で象の皮を掲げるという恐ろしい様相です。

そんな恐ろしいインドの「マハーカーラ」ですが、中国へ伝わると「大黒」と訳され、がらりと印象を変えます。それは、マハーカーラの「戦闘神」「軍神」「財福神」の3つの性格のうち、「財福神」としての性格が強調して祀られるようになったからです。
そして、その性格は日本へもそのまま伝わります。

中国からの性格がそのまま伝わっただけにも見受けられますが、日本では独自の大黒天信仰が繰り広げられます。それが大国主命(おおくにぬしのみこと)との習合信仰です(※1)。
大国主命といえば、出雲大社に祀られている有名な神様ですが、大黒天の「大黒」と大国主命の「大国」が「だいこく」という音で通ずるため、両者は一体視されるようになっていきました。そして、一体視されるようになってからは、日本人にはお馴染みのにっこり笑顔が印象的な福の神としてのお姿となっていきました。

大黒天

狩衣(かりぎぬ)を着て、大きな袋を背負ったそのお姿もまさしく共通し、大国主命が大黒天に転用されたことがお分かりいただけると思います。

「出雲絵巻」 島根県 出雲大社 『特別展 大国主と大黒天 ― 福の神の誕生 ― 』 鳥取県立博物館資料刊行会、平成8年4月。
「出雲絵巻」 島根県 出雲大社
『特別展 大国主と大黒天 ― 福の神の誕生 ― 』
鳥取県立博物館資料刊行会、平成8年4月。

インドを起源とする大黒天ですが、それぞれの国の独自のスタイルでその信仰のあり方まで変容していったことがお分かりいただけたのではないでしょうか。
本展覧会では、こうした大黒天の歴史の紹介に併せ、長谷寺伝世の大黒天像を筆頭に、武装型の大黒天像なども出陳しております。
会期も終了間近に…
ぜひ年の初めに、観音ミュージアムで長谷寺の大黒様のパワーを授かりにいらしてくださいませ!

学芸員 H

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(※1)習合信仰…相異なる教理などを折衷・調和して、それを信じること。